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かかわる全ての人を、主人公に。

宿命 PART.2

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上から「見渡して」みろ!

 

「どうすれば吃音がなおりますか?」

という質問を一番受けていた頃の僕は、

「結局は、人間力を磨くしかない」
「結局は、進化するしかない」

みたいなことをよく訴えていました。

残念ながら、その意図を
十分に伝えるだけの力を
当時は持っていなかったため、

ただ精神論に聞こえてしまったり、
ただ混乱させてしまったり、

……ということがあり、
その度に悔しい思いをしたものです。

その時の悔しい思いを踏まえた上で、
今改めて伝えたいのですが、
すべての”あらがえない問題”は、

 

「今立っている人生のステージを上げる」

ことによって”のみ”解決されます。

“問題意識から解放される” 

と言った方が正しいでしょうか。

 

踏まえて乗り越えた瞬間、
“解放”が待っているわけです。

「吃音は大問題だ」

「吃音は敵以外のなんでもない」

「吃音は諸悪の根源だ」

 

だから、、、

「吃音は直さなければいけない」

「吃音は隠し通さなければいけない」

「吃音を消滅させなければいけない」

こんな発想のままでは、 つまり「問題」
としてしか認識できていないうちは、
克服は遠い夢なんですね。

 

「ステージを上げる」と言っています。

まさに立っている場所が
今よりもずっと上がって、
結果として、問題そのものを
「見下ろす」ことができるようになる。

問題を見下ろせるくらいの場所まで上り、
すべてを「見渡して」みる。

こんなイメージです。
(……おーい言葉のチョイスに気ぃつかうぞー。笑)

 

「上がる」ための手段は色々です。

  • 身体を鍛えて、
    見た目に自信をつける努力をしてもいい。

  • コミュニケーションのスキルを
    磨き人気者になる努力をしてもいい。

  • リーダーシップのスキルを磨き、
    人から尊敬される努力をしてもいい。

  • 女性心理を勉強して、
    モテる男になる努力をしてもいい。

  • お金やビジネスの勉強をして、
    稼げるようになる努力をしてもいい。

なんでもいいと思います。

 

自分や他者に良い影響をもたらし、
自然と感謝が生まれるものであれば、
どんなことでもあなたの人生のステージを
上げることに貢献してくれるはず。

 

注意しなければいけないのは、

 

問題そのものと対峙するような行動

 

を生み出してしまうことです。

 

吃音者だったら、例えば
「どもらずに喋る訓練を毎日する」 とかね。

これは、問題と対抗し、
ただいたずらに戦っているだけです。

その頻度を増やしているだけです。

いつまでも同じステージに
留っていようとする行為に他なりません。

多くの人がステージを上げられない理由がここにあります。

その問題が、
あらがえないものであるなら、
変えられない宿命であるなら、
いくら頑張って向かい合っても消えることはなく、
むしろ色濃く強化されしまうんですね。

 

自分は他の分野で何を伸ばせるのか?

どんな能力を身につけ磨いていきたいのか?

にフォーカスする必要があると思います。

 

かつて、それに気づきつつあった僕は、
自分が一流になりたい分野を見つけ、
能力を伸ばし、磨く努力をするようになりました。

 

さらに、 問題そのものが消えてなくなるわけじゃない。

それを問題として認識しない自分に進化するだけ。

 

ある時から、吃音の克服に対して、
こういうイメージを持つようになりました。

 

そして、 問題が問題ではなくなった瞬間、

これまで見えなかった新しい可能性が

「必然的に」見えるようになった。

 

これを、実体験レベルで理解しました。

吃音を問題として認識しなくなった瞬間、
色々なものが見えるようになりました。

「色々なものってなんぞや?」という話ですが、
まあなんて表現したらいいか困るんですが、
一言でいうと、

 

“闇(問題)を、光(魅力)の 材料に変える(生かす)アイデア”

 

かなぁ、と。

これが見えだすのと同時に、
無意識レベルで気づいたのは、
「ギャップ」といわれるものは、 

 

人が本来持つ「魅力」と密接に関係する概念

であるということです。

 

「ギャップ」というと、
ただのテクニックとして語られがちですが、

これは、人間なら誰もが持つ
「闇」と「光」 の存在と、それが価値に
変わりうる可能性を示唆した、本質的な概念なんですね。

宿命を選ぶことはできないし、
僕なんかでは想像すらできないような
過酷な宿命を背負っている人も、
世の中に沢山いることはわかってる。

だからこういうことを
あまり簡単には言えないこともわかってる。

でも、あえて言わせてもらうと、
すべてのあらがえない問題(闇)は、

 

魅力という「光」に変えることが可能

 

だと信じています。

と言うかですね、そう信じたいんですよ。

だって僕自身、そう信じた先に、
今まさに現実として生きている
かつて理想として思い描いた人生はあったから。

吃音克服のプロセスは、
僕にとってはまさに、
最大・最良のチャレンジであり、
最大・最良のチャンスだったわけです。

 

「どうやれば、私は魅力的になれるでしょうか?」

こういう質問をよく受けます。

 

答えはなんでしょうか?

問題そのものを消す努力をすることでしょうか?

見た目を変えて誤魔化すことでしょうか?

・・・

違うと思います。

今の僕ならこう答えます。

 

あらがえない問題から目を逸らさず、
真っ向から見つめ、努力し踏まえて乗り越えた、
その先にあるその人が見た新しい価値、
その価値を世の中に対して表現したその瞬間の姿、

…これが、その人が持つ本当の魅力です。

 

綺麗事に聞こえるでしょうか?

 

でも僕は、逆に、泥臭く人間臭い、
きわめて現実的な話をしているつもりです。

ふわふわしてると感じるでしょうか?

でも僕は、ちゃんと地に足着けてるつもりです。

 

・・・

 

僕は、吃音というあらがえない
問題を通してこのことを学びましたが、
もちろんすべてに対して言えることです。

これを読んでいるあなたの中にも、
きっと何かあるはずです。

 

「お金がなくて困っています」

よく相談されることの一つですが、
たとえ多額の現金を渡したとしても、
この人のステージは変わりません。

つまり、また同じ問題を抱えてしまうのは明白です。

そうじゃなくて、
その人のステージが上がって、
お金をコントロールできるようになったり、

お金と交換できる価値を
自ら生み出せるようになったりすることで、
問題から解放されるんです。

お金に対する欲望を、
完全に消すことはできないかもしれない。

でも、お金という存在を
上から見渡せるようになることで、
問題意識から解放されるわけです。

すると、お金に対してこれまで
見えなかった色々な可能性が見えてくる。

例えば、自分の欲望を満たし、
悩みを解決する道具でしかなかったものが、
人を救うことができ、幸福のお手伝いができ、
自分を進化させることができる有力なツール
として活用できるようになってくるわけです。

 

「モテなくて悩んでいます」

という悩みもよく貰うわけですが、これも一緒。

そういう人が、例えば風俗に行って
寂しさを凌いだってそれは一瞬のことで、
そいつの中の問題意識がなくなるわけじゃない。

恋愛や性に対する欲望は、
消すことができないかもしれない。

でも、恋愛や性というものを
上から見渡せるようになることで、
問題意識から解放されるんですね。

その結果、また何か新しい可能性が見えてくる。
(これについてどんな可能性が
 見えてくるかはちょっと考えてみてください。)

 

上る努力はしてください。

これはお願いしますよ、マジで。

頑張って上っていきましょう。

 

頑張って上って、上りきった! …と思っても、
そこはまだ頂上ではないと思います。

頂上はもっと先に、上にあるし、
生きてる間は頂上には辿りつけないかもしれない。

いや、生きてる限り、
頂上自体ないような気がします。

でも、現状の問題を見下ろせるくらいの
高さまで上ることが絶対にできる。

そこまで上ったら、
今度はそこから見渡してみてください。

見えた景色がすべてを教えてくれます。

そこに答えがあるはずです。

 

・・・ んで、ここから
「右を見ながら左を見る」の話に入っていくのですが、

『どんなに重度の吃音者でも歌では決してどもらない』

この謎のロジックを解明していきます。

 

右脳と左脳

 

吃音者には色んな特徴があります。

  • 常に発声に対する予期不安がある
  • 電話が苦手
  • 歌ではどもらない

これについては全吃音者共通の特徴として、
このベースの上に、様々な特徴があるわけです。

例えば、

  • 「人前ではどもるが一人の時はどもらない」
     という人もいれば、

  • 「特定の人の前でだけどもる」
     という人もいれば、

  • 「1対多ではどもらないが、1対1ではどもる」
     という人もいれば、

  • 「普通に生活する分には問題ない、
     特に不便なく上手にやれるがしかし、 
     ●●(特定の言葉)だけは絶対に発声できない」
     という人もいます。

  • 「人前ではどもらないが、一人の時はどもる」
     という稀有な事例も見られます。

 

ちなみに僕は、後者の辺りです。

「TOYOTA」

トヨタ自動車の「TOYOTA」が最も発声困難です。

なので、今後僕に会った際、
興味本位でこれの発声を要求することは
やめてください。

 

 

 

殺しますよ……。

 

 

(嘘。笑)

 

 

とにかく、これらはすべて、
自分自身が作りだした”ルール”です。

これまでの失敗体験や成功体験によって、
「このパターンは大丈夫だ」
「このパターンは私にはダメだ」
などという試行錯誤を繰り返しながら
作ってきたものなんですね。

 

んで。

今回の話で注目してほしいのは、
“歌ではどもらない” という
一際興味深い全吃音者共通の特徴です。

いきなり少し専門的な話になりますが、
『言語野』は、大脳半球の左右どちらかに
偏在しているといわれており、

9割以上の人で、言語野は
左大脳半球にあるとされています。

 

つまり、僕らが日常的に行っている会話は、
左脳の働きによるものだということです。

そしてまたいきなりの
結論になってくるのですが、
『歌』というのは右脳の働きによる行為です。

例えば、僕らが歩くとき、

「先ずは右足から踏み出して、
その時同時に左手を前に右手を後ろに、
次に左足を……」

なんてわざわざ考えないですよね?

ちょっとだけ、
考えながら歩いてみてください。

凄く違和感を覚えると思います。

 

僕らが、日常で当たり前に
やっている行為の中には、

「何も考えず自然にやる」 からこそ、
問題なくスムーズにやれる事が多々あるわけです。

 

『呼吸』もそうです。

酸素を吸って二酸化炭素を
吐き出すまでの身体の中で起こっている
プロセスをすべて思い浮かべながら呼吸してみてください。

「酸素が呼吸器を通り肺に入って、
続いて横隔膜が上がって、そして二酸化炭素が……」

……きっと、息苦しくなると思います。

 

この逸話を読んでみてください。

 

——————————————–

これは、「百足」と書いて「ムカデ」と読む。

この不思議な虫の、苦難の物語です。

ある暑い夏の日、ムカデが一生懸命に歩いていました。

すると、通りかかったアリが言いました。

「ムカデさん、凄いですね。 百本もの足を絡み合うことなく、 乱れる事もなく、整然と動かして 歩くなんて、さすがですね。」

その褒め言葉を聞いて、 ムカデはふと考えてしまいました。

「なぜ、自分は、これほど上手く 百本の足を動かせるのだろうか…… アリさんの言う通り、絡み合う事もなく、乱れる事もなく、なぜ、整然と動かして歩くことが出来るのだろうか……」

そう頭の中で考え始めた瞬間に、 ムカデは、一歩も歩けなくなっていました。

先程まで、何の苦もなく無意識に 動かしていた足を、一歩も動かす事が できなくなってしまっていたのです。

【出典:田坂広志『自分であり続けるために』】 

——————————————-

 

『ゴルフスイング』なんかもそうだと思います。

いちいち動作を確認したり、
それによって身体の節々に
力が入っているからこそ、
上手くいかないのです。

将棋や囲碁なんかも同じことがいえますが、
達人になればなるほど、「そのもの」に対する
技術や思考力は成長しているはずなのに、
なぜか結果に見放されることが多くなるのは、
こういうことが大いに関係しています。

 

『お金』もそうかもしれません。

お金が寄ってこない人は、
お金に対して、ポジティブ・ネガティブ
関係なくあれこれ考えすぎなんですよ。

「お金は汚いものだ」とか
「お金さん、ありがとう」とか
余計なこと考えなくていい。

お金の教育というのは本来、
お金に対するネガティブな認識を
取り除きポジティブな認識を得よう、
というものではなく、 ニュートラルに
なるためにやるべきものなんですね。

まあ、言うほど簡単ではないですが。

 

“きわめて自然に何かを行う”

 

というのは、何かの分野を
極めようとする者にとっての
永遠のテーマだと言えるかもしれませんね。

・・・

話を戻しますが、
吃音者がどもる大きな原因の一つとして
言えるのは、本来自然に行うべき『発声』
という動作を、頭であれこれ考えてしまうからです。

しかし、悲しいかなこれも左脳の働きの一つです。

 

「吃音」という”問題”として
認識しているのはある意味
僕らの主観であって、 本来は、
良いも悪いもなく、ただ人間に備わった機能に過ぎないんですね。

 

で、さらに話を戻しますが、
『歌』は左脳ではなく、右脳の働きです。

だから、どんなに重度の吃音者も、
歌ではどもることはないんです。

スラスラ歌うことができるんです。

 

僕は中学生の頃にこの事実に気づき、
これを意識して吃音と向き合ってきました。

また、吃音者の中には、
この特性を利用し「歌うようにして」
会話を成立させようとする者もいます。

この発想自体”正解”です。

ただ、 その試みで自然な会話を成立させるには、
何年もの、人によっては何十年もの訓練と幾度
ものトライ&エラーを余儀なくされます。

 

今周りに誰もいないなら、試しにやってみてください。

たぶん笑えますよ。

へったクソな一人ミュージカルになるはずですから(笑)。

 

まあ、当事者にとっては
笑い事じゃないんですが、とにかく、

“「歌うようにして」自然な会話を成立させる”

これはまさに、

“右を見ながら左を見る”

…ようなものなんですね。

 

右を見ながら左を見る

 

わかります?

あくまで「のようなもの」であって、
実際に右を見ながら左を見ることが
出来る人はいないと思いますが、
そのくらい難しいってことです。

漫画「ナルト」の中の、
「螺旋丸」という必殺技を
習得するエピソードにおいて、

「これをやるのは、
 右を見ながら左をみようとするものだ」

という言葉が出てきました。

(知らない人ごめんなさい。)

 

要は、それほど習得難易度が
高い技だということですが、
吃音における 「歌うようにして」
自然な会話を成立させるも相当な難易度だという事です。

でも、不可能ではない。

事実、僕は、その感覚の
習得に成功しています。

右脳発動状態で、 1対1や1対多の
会話ができているわけですが、
それには秘密があるので、それを話していきます。

 

・・・ 簡単ですが図にすると、

↓会話している時は通常こんな状態です。

左脳●——————————右脳

 

↓で、歌を歌っているときはこんな状態。

左脳——————————●右脳

 

極端な話、ですよ。

んで。

要するに、

左脳—————●—————右脳

↑この状態で会話を成立させるのが、

“「歌うようにして」自然な会話を成立させる”

ということになってくるわけです。

 

これってものすごく
難しいことに思えるかもしれませんが、
実は、 僕らの凄く身近なところでこれを
体現している人たちがいます。

それは誰かと言うと、『役者』さんです。

 

さっき冗談ぽく

「今周りに誰もいないなら、
試しにやってみてください。

たぶん笑えますよ。
へったクソな一人ミュージカルに
なるはずですから(笑)。」

 

などと言ったのですが、
本当に、ミュージカルの応用なんですよ。

ドラマや映画や舞台キャラクターを
演じる優れた役者さんというのはみんな、

左脳—————●—————右脳

これなんですね。

役者に限らず、例えば芸人さんや、
ナレーター(朗読する人全般)なども
これに該当します。

役者さんが役を演じているとき、
芸人さんが漫才をしているとき、
ナレーターが心を込めて人の
ストーリーを語っているとき、

お母さんが心を込めて
子供に絵本を読んであげているとき、

左脳—————●—————右脳

きわめてこれに近い脳の状態だと言えます。

 

そして、最初に話したような、

“きわめて自然に何かを行う”

ということにも繋がってくるわけです。

 

もっと言うと、この記事の前半で話した

“上から見渡せ”

の話とのリンクしてきますよね。

 

上から見渡せる景色の質や
範囲が広ければ広いほど

(物事の抽象度レベルを
自由に上げ下げできるように
なればなるほど)

きわめて自然に、
「歌うようにして」会話を成立させる
……ことが可能になってくるわけです。

 

吃音者の中には

「舞台に立って役を演じている時には
きわめてどもりにくい」

事に気づく人は少なくないですが、
それはこういうことです。

これはその人の中で、
上から見渡せる景色や範囲が
広がったことを意味しています。

(吃音者の子供が学生時代、
 国語の授業中に本読みを当てられて
 大変な目に遭っていたのは、
 会話脳(言語野/左脳)での
 朗読を試みていたから。)

ただし、 歌のように
究極的な『右』ではないため、
まったくどもらないわけではありません。

多少『左』が入っている割合分の
葛藤を消すことは難しい。

また、吃音者にとって
人前で喋る事自体大変な
勇気やチャレンジが必要なわけで、
こういう理屈を知ったからといってす
ぐに出来るような真似でもありません。

僕のように、人前でセミナーやったり、
テルセミナーやったり、コンサルやったり、
独白コンテンツ作ったりするというのは、
多くの吃音者にとっては相当にハードルが高いことなんですね。

(慣れれば大したことないんですが。)

 

一口に言うと、

“役になりきる”

ことが、どもらず自然に話すことを
可能とする一つの有効な考え方になります。

 

僕は、セミナー中は、
“セミナー講師”の役になりきっています。

子供に本を読んであげているときは、
“語り手”の役になりきっています。

ちなみに、こういう表現が
正しいかどうかわからないですが、
“アーティスティック” な感覚が強い人は、
通常の会話でも普通に、

左脳—————●—————右脳

この状態で喋っていたりしますね。

 

こういう人には、何て言うかこう、
オーラとか熱意とか圧とか、
とにかく普通の人には見られない
強烈なエネルギー的なものを
感じやすい傾向にある気がします。

まあ、その人の性格や場面によっては、
それが良い方向に働いている場合も
そうでない場合もありますが、
自らの意思でそれをコントロール
できるようになれば最強ですね。

 

左—————●—————右

 

……では、こうなるための条件をシェアします。

ここで、これまでのすべての話が繋がります。

その前にもう一度確認しておきます。

“これは「吃音」の話ではありません。

” すべての人に通ずる成功法則の話です。

この前提に乗っ取ったうえで、、
自分の状況や環境に重ね合わせて読んでくださいね。

・・・ さて、条件は2つです。

 

条件1: ポジショニング

元総理大臣の故田中角栄氏は、 知る人ぞ知る吃音者です。

彼の喋り方を見ているとわかるのですが、 かなり独特です。

実は、これには2つの秘密が隠されています。

1つ目。

彼は演説時、「まあ、その〜」という
言葉をかなり多用していたのですが、
これは、特定の苦手な言葉を発声する
間やタイミングを計っているためです。

そして、たまに何かを言いかけたかと思うと、
一瞬の沈黙があり(ほんの一瞬)、
その後すぐ別の言葉に言い換えをして
場を繋いでいるのが、僕であればわかります。

これは、多くの人が知らない事実で、
「浪花節のユーモア溢れるおっちゃん」
程度の認識だったと思うし、
仮にそのロジックを説明されたところで、
非吃音者には理解できません。

 

2つ目。

彼は、無意識ながらに

『浪花節が似合い、且つユニークで、
 気前が良く器の大きい漢』

の役になりきることで、

「心は行動となり、
 行動は習慣を生み、
 習慣は人格を作り、
 人格は人生を決する」

という誰かの名言があるように、
長年に渡り実際にそういう人格を
構築してきたのではないか、と。

・・・ まあ、2つ目については
僕の個人的な推察にすぎませんが、
同じ「前に出ていく」吃音者として、
そんな風に感じずにはいられません。

ともあれ、ですよ。

僕は、理想のオトコを
演じる努力をし続けたことで
吃音を克服しました。

 

———————————-

自分の信じる「美しさ」に共感してくれる人を多く巻き込む努力をすること。

さらに、彼らと共に成長し続けていくこと。

そして、そのプロセスの中で、成功や豊かさを一緒に手に入れていくこと。

———————————-

 

こんな風な、 “自立したリーダー” が僕の理想です。

だから常に、どんな時も、
これを演じる”役者”を僕はやめないし、
さらに磨いていきたいし、

これまでもそんな風にしてですね、
まだまだ理想には遠いけれど、
現時点での人格に至っているんです。

田中角栄氏に至っては、
浪花節を歌って吃音を克服したというわけです。

さっき、「役になりきる」
という話をちらっとしましたが、
ホント、 こういうことなんですよ。

 

条件2:今ここ

 

『今ここ』

『今ここ』スキルがないと、
今回のスキルは成立しません。

ちゃんと読んで理解してくれている人なら、
言ってる意味がわかると思います。

いいですか?

『今っ、ここっ』なんですよ。

 

過去や未来に意識やエネルギーを
持っていかれているようでは、
最高の役を演じる(歌う)ことはできない。

例えば、役者さんが、
舞台の上で役を演じている最中に、
借金の事や1年後の生活の事なんかを
気にしているでしょうか?

ありえないと思います。

僕が、セミナーやコンサルの最中に、
全然関係ない好きな女性の事を考えたり、
本日の晩御飯何にしようかなぁみたいな事を
考えたりしていると思いますか?

絶対に(……きっと、……たぶん)ないですからね。

前回した『今ここ』の
話に対して こういう意見を貰いました。

 

男性
男性
今回の「今ここ」っていうのは以前からAUNさんが仰っていたことだったので、僕も心がけてはいるんですが、やっぱり未来に対する不安というか、全力を出して事を成した後が気になっちゃうんですよね。

現実的に、たとえば僕が徹夜で学んだことで周りに貢献できたとしても、その影響でいつも滞りなく行っている日常の行動に支障が出るとなると、プラスどころかゼロ評価を通り越して、マイナス評価になってしまうわけですよ。

なら、ほどほどで少し成果がダウンしてでも影響を少なくしたほうがいいんじゃないかと思ってしまうんです。

 

正直、うーん……って感じです。

「ここぞ」という場面で
全力を尽くした事によって生じる
(かもしれない) 負の影響とか、
そんな事を気にしてたら
何もできなくなってしまうでしょう。

もし、何かしらの負の影響を
一時的に周囲に与えたとしても、
それが本当に当人にとっての

「ここぞ」

であるなら、 長期的に考えたとき、
絶対にプラスになる。

そう信じる気持ちが大切だと思います。

 

また、短期的にでも、
あまりにも 大きな負の影響が出そうなら、
ちゃんとバランスを調整して、
最良のパフォーマンスポイントを見つけるんです。

 

僕がよくいう

『関わる人とのWIN-WINの感覚』

ですね。

 

そういうこと全部ひっくるめて
『自己責任』なんですよ。

成功し続けられる人間は、
そういう重箱の隅を突く様な細かい事を
行動のブロックなんかには絶対しません。

まあ、この質問主さんに関しては、
いつも感想のメールをくれる良い人間だし、
たぶん着実に成長してくれていると思うので、
これからも頑張ってほしいし、期待してます。

・・・

あなたにとって、
手を抜いてはいけない「ここぞ」という場面は、
『今ここ』を生きるべき場面はどこでしょうか?

其処にあなたの理想の
ポジショニングのヒントが隠されているはずです。

そして、誰でも知ってるような
有名人も意外と吃音者だったりします。

 

そんな彼らも、

  • ポジショニング
  • 今ここ

を追求することで、見事克服しているわけです。

 

以下参照です(興味があれば)。

■ブルース・ウィリス/俳優
高校時代に吃音に悩まされるが
ステージ上では吃音があまり出ない事に気づき
演劇部に所属し、 生徒会長も努めるほど吃音を改善させた。

■マリリン・モンロー/女優
世界中に知られている
20世紀を代表する映画スター。
複雑な生い立ちや幼少期の経験から吃音になる。

■ジュリア・ロバーツ/女優
大ヒット映画「プリティ・ウーマン」で
一躍スター座にのぼりつめる。
子供の頃に吃音で悩んでいた過去がある。

■タイガー・ウッズ/プロゴルファー
世界的に有名なアメリカのプロゴルファー。
21歳PGAツアー史上最年少賞金王に輝く。
子供の頃吃音があり悩んでいたが飼い犬に
話しかけ、ゴルフに集中する事で徐々に吃音を克服した。

■小倉智昭/フリーアナウンサー
朝の情報番組「とくダネ!」の司会者として活躍中。
幼少期から吃音に悩み、からかわれていたので
「それを見返してやろう!」とあえてアナウンサーを志す。

吃音を克服したように見えるが、
普段は吃音がでるようで自ら
「吃音キャスター」と名乗っている。

■桂文福/落語家
幼少期から吃音をもっていたが
落語の世界に憧れ入門。

師匠のすすめで吃音やナマリを
そのままだした新作落語に取り組む。

 

イカそうぜ

 

色々と、長々と語ってきましたが、
立派な話でもなんでもないです。

僕の場合、ここから逃げるとダメになるんです。

色んな意味で”自立”するしか、
“自分を生きる”手だてがなかったんです。

ぶっちゃけ、ネタにしてます。

よく「吃音」の事を話題に出すので
勘違いしてる人も多少いるようですが、
別に同情して欲しいわけでも
気を遣って欲しいわけでもありません。

 

ただ、ネタにしているだけなんです。

「利用」しているんです。

キャラクター作りに利用しているんです。

ブランディングに利用しているんです。

ビジネスに利用しているんです。

好き好んでやっているんですよ。

 

世界中の吃音者の中でも
何本かの指に入るくらい
俺は吃音と上手に付き合ってる人間だと
本気で思っているんです。

あなたが思ってるよりも、
僕は図太く生きてると思います。

 

最後に。

 

あなたにもきっと
何かあらがえない弱みがあると思います。

あらがえないんだったら、
もうせっかくなんで、利用してください。

“生かして”欲しいと思います。

 

僕は、「ダークサイド」
という言葉をよく使いますが、
闇を光に変えて欲しいんです。

どんな弱点でも、
捉え方次第でそれは強みに成りうるし、
そのすべてが可能性であると僕は信じたいです。

上手くやれば、
ギャップとしてプラスになるし、
成長の、進化の、大きな起爆剤にもなる。

人に希望を与えることもできるし、
大きな影響力を持つこともできる。

すべての弱点は、
生かすことができると信じています。

綺麗事だと思われても、
もうこの際構いませんが、
とにかく希望は持っていたい、
持っておいて欲しい。

 

あらがうことが
できないものであればあるほど、
絶望も隣り合わせとしてセットで
ついてくるかもしれないけど、

生かすことさえできれば
それはさらに大きな力になり得るんだ、と信じています。

・・・ これで、『宿命』の話は終わりです。

 

ちょっとした気づきからはじまった話なので、
こんなに長丁場になるとは思わなかったですが、
これを読んでくれてる人の少しでも役に立てれば嬉しいです。

意見や感想などあれば、遠慮なくメールください。

では、またですね。

ありがとうございました!

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