俺が進化したいワケ
From:AUN
自宅の書斎より、、、
AUNこそ西祖です。
「なんだこいつ?」
と思われるのを覚悟で言うのですが、
僕の人生は今、とても上手くいっています。
1日1時間くらいパソコン作業をすれば、
後は自動で収入が入ってくる仕組みを構築しました。
また、インターネットの恩恵を存分に
活用しているので、仕事場所を問いません。
自宅でもスターバックスでも海外でも、
ネット環境さえあれば何処にいても仕事ができます。
それでもう何年間も、継続的に、
安定的に、同年代の大体十倍くらいの
収入を得ることができているのです。
こういう話を初めて聞く人にとっては
信じられないかもしれませんが、本当の話です。
もちろん、
「ネット使って、ポチっと、楽して稼げまっせ、へっへっへ」
なんて馬鹿な話ではありません。
それ相応の努力をした結果です。
ただ、これが、インターネットが
台頭した今の社会のポテンシャルだということです。
こういう話も、これからボチボチして
いきたいと思うのですが、今日は違います。
そういう話はもっと先でしていくつもりです。
なぜなら、
・自己改革
・コミュニケーション
・リーダーシップ
ザックリですが、
このような素養が無い人がビジネスで、
特に僕のようなコンテンツビジネスで
成功するなんて無理だと思っているからです。
だから、まあ、気楽にやっていきましょうや、と。
それで今日は何の話をするのか?
ですが、最初に言っておきたいことがあります。
先ず、僕自身、別にもう、
一生懸命、急いで成長しようとしなくても、
特に生活に困ることはありません。
急ぐ必要がないのです。
ボチボチ、、、
というかんじの「緩さ」で問題ないわけです。
でも、僕は自分自身の成長・進化に対して、
とても貪欲です。
「こいつはどこか生き急いでいる」
と思われても仕方ないほど、
自分を進化させるための努力を常に怠りません。
たまに、子供の頃の記憶が蘇ってきて、
テレビゲームをしたくなることがあります。
ドラクエやFFなどの新作が
発売されたということが耳に入るや否や、
無性にプレイしたくなってきます。
でも、しません。
しませんと言うか、できないのです。
「やりたいな」
と思った瞬間、
「いや、そんな事をしているよりも、
他に有意義な時間の使い方ががあるはずだ」
こんな思いに駆られてしまうのです。
結果的に、本や教材で勉強したり、
新しいビジネスの企画を考えたり、
読者さんとコンタクトを取ったりしてしまいます。
「無理を」しているのか、
文字通り「頑張って」いるのか、
……と言うと、特にそんな事もないみたいなのです。
おそらく、その瞬間、瞬間で、
一番やりたい事を自分で選択している
だけなのだと思います。
結果的に、大きな満足を得られることが多いです。
でも、やっぱりゲームをしたいなぁと
いう気持ちはなくなりません。
子供の頃にハマったタイトルの新作情報が
入ってくると、ウズウズし出します。
でも、多分これからもしないような気がします。
別に「しない!」と心に決めているわけでは
ありませんが、きっとやらないと思います。
時間は有限です。
時間の使い方にもよりますが、
生きているうちにやれることは、
本当に限られています。
こういう意見もあると思います。
でも言っているように、僕は、
別に無理をしているわけではないのです。
“ないものねだり”に近い感覚でしょうか。
なぜ、そんなかんじなのか?
……そこに、僕のコアが隠されています。
たぶん、この話は、
あなたにも凄く関係の深い話です。
今日は、いつもとは
少し違う毛色でお届けしたいと思います。
そして、かなり長くなると思います。
が、本当に、本当に大事な話をするつもりなので、
ぜひ最後まで読んで欲しいと思います。
・・・
「俺の人生のミッションは進化だ」
こう思っています。
まあ、これを理解してもらうには、
十分な補足や説明が必要になってくるのですが、
とにかく、僕自身、理想とする人生を
手に入れるためには、進化し続けるしか
ないと思っているのです。
人生のステージ(次元)を上げて
いくしかないと思っているのです。
……僕の情報発信には、
そんな風なメッセージを沢山込めている
関係から、こんな質問をよくもらいます。
==============================
私もAUNさんの言うように、
人間として進化することで素敵な人生を
送りたいという気持ちを強く持っています。
でも、すぐにモチベーションが尽きてしまい、
普段の生活に戻ってしまうのです。
どうすれば、AUNさんのように、
進化する事が当然のマインドになることが
できるのでしょうか?
==============================
これは、実際にもらった質問です(原文です)。
まあ、言いたい事は山ほどあるのですが、
今回はいつものかんじの答え方(伝え方)ではなく、
僕自身が自分を見つめ直す事で、
最終的に、この質問の答えに着地できればいいな、
と思いながら筆を進めていきたいと思います。
・・・
ここから先は、基本的に、独り言です。
独り言ですが、
最後まで付き合って頂く価値は
十二分にあると思っています。
最後まで付き合っていただければ嬉しく思います。
・・・
“進化”
これが、俺の人生のミッション。
まあ、ミッションなんて言うと
大袈裟に聞こえてしまうかもしれないね。
だから、まあ、
「成長」
「飛躍」
「ステージを上げ続ける」
「次元を変え続ける」
なんて言葉に置き換えてもいいかもしれない。
とにかく俺は、
自分を進化させることに対して
とても強いパッションを持っているんだ。
それで、ふと、なんでかな?って考えてみたわけ。
どうして俺は、
こんなに進化することに対して貪欲なんだろう、と。
そんな風なことを自分に問いかけてみたわけ。
しかし、いかんせん、
この問いかけは凄く漠然としているから、
先ずは表面的な部分から探っていくことにしよう。
収入について。
自分が進化し、
提供できる価値の質が高くなり、
そして提供できる人の母数が
多くなればなるほど、「収入」という、
わかりやすいダイレクトな形で返ってくる。
進化すればするほど、
より多くの収入を得られるチャンスが
増えるって事を、俺は経験上理解している。
ポイントは、「コントロールできる」ということ。
収入を増やすことは難しくないし、
あえて減らすこともできる。
あらゆる意味で縛られていない状態がそこにあるの。
いきなりカネの話をするのは
下世話かもしれないけど、事実だから。
俺は、紛れもなくそういう世界に生きてる。
俺は、これまで、
ビジネスを通して人格と能力を磨いてきたんだ。
良好な人間関係や人間関係の維持に
欠かせない概念として、
“価値の交換”
が筆頭として挙げられると思っていて、
価値交換ができなくなった関係は、
かつての親友だろうが家族だろうが、
終わってしまう。
そしてビジネスは、
価値交換の媒介がお金に限定される営みなんだ。
だから、ビジネスという俺にとっての
“ライフワーク”を通した進化の先には
当然、お金が待ってるわけ。
それで収入が増えたらどうなるか?
たとえば、
買えるものが増える……?
精神的に安定する……?
より多くのチャレンジができるようになる……?
大切な人を救うことができる……?
多くの人にチャンスを提供できるようになる……?
うん、間違いない。
これは事実だ。
じゃあ、進化したい理由は、
収入をアップさせる事だけなのか??
これはもちろん「NO」。
進化すると”人間関係”が良くなる。
生きる、ということは、
他人と「関係」し続けるということ、だと思う。
“人生=人間関係”
この意見には、誰も異論はないでしょう。
だから、
「人間関係」というものを切り離して、
「進化」というものを、「人生」という
ものを考えることはできないと思ってるんだよ。
「進化」というのは、
“次のステージに飛び立つ行為”
なんてここでは大雑把に言ってしまうけど、
ここで言いたいのは、
人と関係して生きてる以上、
飛び立とうと自分を、
なんとか地上に引き止めようと
する人間たちが必ずいる
ってこと。
その多くは、
その人の事を心配してそうして
しまうのだけど、中には完全なる
悪意を持ってそれをやる人もいるわけ。
心配してくれる人に対しては、
ちゃんと素直に、誠実に、真摯に
向き合って、理解してもらう努力を
するべきだと思う。
時間をかけてでもするべきだと思う。
理解してもらうことが
とても難しい人も中にはいるけど、
へこたれず、努力し続けてさえいれば、
難しい相手もいつかきっと理解してくれる
んじゃないかと、俺は信じてるんだ。
その結果、自分と一緒に飛び立って
くれる人が現れてくれれば最高だと思うし、
そういう人を積極的に見つけていくための、
自らの努力も必要だと思う。
そうでなくても、
一緒に飛び立ってもらうことは難しくても、
地上から見守ってくれていたり、
応援してくれていたりする人がいてくれれば、
それだけでとても幸せなことだと思うんだ。
そういう人たちに対しては、
自分も同じように見守りたいし、
応援してあげたいと思うんだ。
力になりたいと思うんだ。
かつてメンターから叩き込まれた
「WIN-WINの関係を常に目指せ」
という教えが頭から離れることは
死ぬまでないのだけど、これは、
“努力”なしでは叶わないことだと思う。
「飛び立つ」決意が出来なければ、
理解し合う努力を怠ったなら、
WIN-WINの人間関係なんて成立しないんだ。
だから、心配するあまり俺たちを
地上に引き止めようと必死になる人
たちに対する「誠実な」態度は、
凄く、凄く大事なんだと思う。
一方で、そうじゃない人に関してはどうだろう?
悪意で引き止めようとする人、
足を引っ張ろうとする人なんかは論外としても。
その他の、
一緒に飛び立ってもくれない、
見守ってもくれない、
応援してもくれない、
こういう人たちとの関係はどう対処すべきだろう?
俺は、終わらせてもいいと思ってる。
哀しいけど、割り切って終わらせた
方がいいと思ってる。
望んでもいない人間関係を維持する
努力なんて、これほど馬鹿げた事があるだろうか。
それは、「お互いの」ためにはならない努力なんだ。
もし、俺たちに与えられた時間が無限なら、
何年、何十年かけてでも、関わる全ての
人たちと良い関係を築く努力をしていいと思う。
でも残念ながら、俺たちに与えられた
時間は思ったほど長くないの。
だからこそ、自分が望んでいない
人間関係は終わらせ、本当に、心から
望む人間関係のご縁を積極的に紡いでいく。
これに力を注ぐべきだと思うんだ。
・・・
収入。人間関係。
「なぜ、俺は進化したいのか?」
少しずつ、この問いの答えに
近づいてきていると思う。
もっと深くまで考えてみることにしよう。
・・・
そうだ、俺は、
何かを深く考えようとする時、
必ずと言っていいほど”過去”の
出来事を思い出してしまう癖があるんだった。
それはたとえば……
物心ついた頃からの吃音症が原因で、
二十歳過ぎまでは微妙な人生だったのだけど、
そのことはよく思い出す。
思い出す度に、あの苦労に耐えてきた
自分を褒めてあげたくなる。
言葉が詰まって出てこない”奇病”
の存在を、親や友人や同僚には決して
見せまいと必死に隠そうと頑張っていた、
あの頃の自分の健気な姿を思い返すと、
それだけで涙が溢れ出てきそうになるんだ。
吃音は言葉の障害だから、
「会話」にダイレクトな影響が出てくる。
なにも会話(言葉と言葉のやり取り)
だけがコミュニケーションではないのだけど、
吃音者の性質として、
“吃音そのものが超ド級のコンプレックス”
だということが、問題をさらに深刻化させる。
コンプレックスなわけだから、
基本的には他人にシェアできない。
親友にも、家族にさえも。
超ド級ともなれば尚更、バレるわけにはいかない。
バレない努力だけは怠らない。
その必死の努力が、余計に自分を追い込んでしまう。
「俺、吃るんだよねー」
こんな風に堂々と言えたなら、
本当は楽になれるんだ。
……ということは今だからこそ
わかることであって、それに気づくまでに、
どれだけの苦境を乗り越えてきただろう。
本当に悔しいのは、自分の本当の能力
よりも随分と下に評価されてしまうこと。
「こんな簡単な漢字も読めないの??」
―(読めるに決まってるだろ)
「本読み下手すぎ、ちゃんと練習してきなよ」
―(お前らの30倍は練習してるけどな)
「なんだお前は、電話もまともに出られないのか?」
―(仕方ないのですよ)
「もう、いい加減にしろ!」
―(そーだね、ごめんよー)
情けない思い、悔しい思いを沢山してきた。
今では、親にでも誰にでも、
吃音者であることをシェアできるけど、
過去の苦悩は、親にだけは死ぬまで言わないと思う。
とにかく、、
自分に自信が持てなかった。
「自信を持つ」ということの意味がわからなかった。
自信がない人というのは同時に、
セルフイメージも低い傾向にあるのだけど、
俺がまさにそうだった。
俺の場合、
“人の顔色や態度を人一倍気にしてしまう”
こんな癖がついてしまっていた。
俺が何か発言することで、
俺がその場に居ることで、
誰かが気を悪くしたりはしないだろうか……。
こんな事をよく考えていた。
考え過ぎ、気の遣い過ぎで墓穴を掘ってしまい、
相手を不快にさせてしまうことが何度もあった。
考え過ぎだということはわかっていた。
だけど当時は、
考え「過ぎ」ていないと不安だったんだ。
「ああ、俺はなんで”俺”なんだろうか。
いっそ、あいつやこいつやそいつに
産まれてくればよかったのに……。」
こんな事をよく考えていた気がする。
・・・
これまでのことを振り返ってみて、
ひとつ思い出したことがある。
それは、
俺は”自分が嫌い”だった
ということ。
反吐が出るほど自分が嫌いだった。
そして、こういう事を思い出すと
決まって登場する人物がいるわけ。
必ず、親父の顔が思い浮かんでくるわけ。
原因はなんとなくわかってる。
俺のトラウマやコンプレックスは、
親父に作られたものが少なくないから。
……と言っても、幼児虐待とか、
そういうヘビーなやつではなくて、
もっとライトなかんじのやつ。
親父は、大人として未熟な部分が多かった。
精神年齢が低いって言い方もできると思う。
決して悪い人ではないのだけど、
たとえば、小さな子供には絶対に言わない
方がいいような事を平気で言ったりする。
悪気がないのは周りもわかってる。
悪気があるのなら、問答無用で許すまい。
悪気が無いから扱いに困ってしまう。
そして、悪気も大人気もない振る舞いに、
周りは腹を立ててしまう。
図体が大きく、見た目もカッコよく、
若い頃はそれなりにモテたらしいが、
とにかく”気質”に難があった。
酒癖が悪くて、喧嘩っ早くて、
社会性に欠けていて、考え方がモロに子供。
言う事だけは立派だが、行動や結果がとても残念。
度があまりにも過ぎる時は、
お袋にこっぴどく叱られていたりするのだけど、
反省しているのかどうかすらわからない。
悪い人ではないから反省する道くらい
わかっているとは思うけど、
それを素直に態度で表せるほど器用じゃない。
そういう人は、世の中には沢山いると思う。
だから珍しいタイプというわけではないと思う。
でも、身内は大変なんだ。
とにかく俺は、自分の親父が、
お世辞にも優秀とは言えないことを
子供心ながらに理解していた。
だけど、そんな残念な親父にも、
“良い所”はいくらかある。
たとえば、彼は動物や子供が大好き。
異常に可愛がる。
見ていて微笑ましい。
……を通し越して引いてしまうほど。
なぜだろう。
自分自身が子供染みてるから
そうなってしまうのだろうか。
わからないけど、まあ、
これは評価してもいい部分だと思う。
また、仕事は一生懸命やる人だった。
それは、昔から変わっていない。
職場は何度も変わっているのだけど、
無職の期間は一度もなかったという事を、
以前お袋に聞いた。
与えられた仕事は一生懸命やる。
社会性や協調性がない気質のせいで、
上と揉めて何度も職を変わるのだけど、
必ず次の職場を見つけてから辞める。
賞与こそはないけど、
毎月の給料は欠かしたことがない(らしい)。
あと、ギャンブルはしない。
女遊びもしない(らしい)。
お袋曰く……なので、概ね正しいのだと思う。
とにかく、最低の親父ではないと思う。
でも、お袋はたくさん苦労した。
いつも、お金の心配ばかりしていたように記憶している。
さっきも言ったように、
親父は転職を繰り返すから賞与なんてない。
給料もしれている。
一家の大黒柱としての最低限の責任は
果たしてはいたものの、
経済的に厳しい状況が変わることはなかった。
また、親父は一度起業に失敗している。
その関係で、結構な額の借金を
背負っていたということも聞いている。
バブル絶頂期ですら、うちの家計は苦しかったはず。
当時は、友達のお父さんが皆カッコ良く見えた。
友達に自慢できるカッコいいお父さんで
あって欲しいと思っていた。
親父の自慢を誰かにしたかった。
「尊敬する人物は、父です」
一度くらいこういうことを言ってみたかった。
彼を尊敬しようと努力をしてみたこと
は一度ではないけれど、でも、
要所要所でいつも気持ちを裏切られてきたんだ。
吃音、貧乏、自信喪失…
過去を思い返してみると、
楽しい思い出よりも辛い思い出の方が
圧倒的に多い事がわかる。
しかし、二十歳を過ぎてから俺は、
“知識”
をつける努力をするようになった。
「知識(情報)は”武器”だ」
これを、ある人から教わった。
この人との出逢いがなければ、今の俺は確実にない。
このメッセージをこうして綴る事もなかった。
彼はこう言った。
「アーティストやアスリートを
目指すわけじゃないのなら、
才能や能力の個人差は大した問題じゃない。
だが、知識(情報)を持っているのと
そうでないのとでは、大きな差になる。」
……知識と言っても、
学校で学ぶようなものではない。
学校では学ぶ事ができないもの。
“自分の力で、人生の可能性を拡げていく”
そういう事を可能にするもの。
資格も、称号も、免許も、認定証もない。
そういうものはないが、
そういうものが付与される知識よりも、
何倍も、何十倍も、何百倍も価値を持つもの。
そういう知識に出逢えたおかげで、
俺の人生は劇的に変わっていった。
克服困難だと云われていた
吃音を克服する事ができた。
俺にとってこの経験は大きかった。
「自信」の意味が理解できた。
「セルフイメージ」が上がっていく
という感覚を体感することができた。
そんな風にして、色んなものが、
緩やかにではあるけれど、着実に変わっていった。
変化を止めたくなかった。
だから、知識をつける努力だけは怠らなかった。
もっと先にある世界を見てみたかった。
そこには、桃源郷があると信じていたんだ。
実際に桃源郷があるかどうかは、
今でもわからないことだけど、
たとえそんなものはなかったとしても、
努力の”プロセス”そのものを
“楽しむ”ことがいつしか、
目的の一つになっていった。
当時のこの気持ちを言葉にすると、
「自分を」生きたい……
これに尽きる。
それまで俺は、他人の人生を生きていた。
自分の人生の主人公は自分しか
いないはずなのに。
でも、自分を生きるための一歩を踏み出した。
「自分を生きたい」
そんな風に強く思えるようになったことで、
責任感と自立心が芽生えたように思う。
思考が変わった。
発言が変わった。
行動が変わった。
被害者意識がなくなった。
他者に依存しなくなった。
チャンスが見えるようになった。
チャレンジと正面から向き合えるようになった。
仕事、人付き合い、ひいては人生。
すべてに対する見方・スタンスが変わった。
何事も、自分の頭で考えるようになった。
これまで使った事のなかった
脳みそのどこかの部分の回転数を上げていった。
自分の頭で考えるということは、
チャンスであり、チャレンジだ。
他人の責任の傘下で生きてるうちは
絶対に見えなかったような場所が、
次々と見えるようになってくる。
それが楽して仕方なかった。
でも、チャレンジが増えると、その分失敗も増えてくる。
何度も失敗する。
転ぶ。
転ぶけど、その度に、
「ここからどう起き上がればいいだろうか……?」
ということを考えた。
俺が転んだ事を嘲笑う心無い人もいたけど、
“お前はどう起き上がるんだ?”
という興味深い目で見守って
くれた尊敬すべき人たちのお陰で俺は、
何にもめげることなく、
掴み取ったチャンス、
与えられたチャレンジに
没頭し続けることができた。
山ほど失敗を経験すると、
“失敗しない方法”
つまり、
“成功する方法”
がわかるようになってくる。
徐々に、成功体験が増えていく。
成功体験は、いつも遅れてやってくるもの。
成功体験は、自信そのもの。
自ら掴んだ新しい自信は、
過去の冴えないセルフイメージを、
望み通りのセルフイメージに書き換えて
いってくれる。
見える世界が変わっていくのが実感できる日々。
そうしていくうちに、色んな人から…
“評価”されるようになった。
会う人、会う人から嬉しい評価を貰った。
たくさん褒められた。
とても心地良かった。
これまでの人生も、自分なりに
頑張ってきたつもりだったのだけど、
褒め言葉「らしきもの」をたまに
貰う程度で、まともに評価された経験がない。
褒め言葉らしきものというのは
たとえばこんなの。
「お前はやればできる子だよ」
「お前は素直で優しい子だから」
「お前は頑張っているから大丈夫だよ」
「人間的には、お前は良い奴だよ」
……なにかが違う、と思っていた。
何が違うかわからなかったけど、
喜びを1ミリも感じられなかったから、
ずっと違和感があった。
でも、今ならわかる。
これまで褒め言葉だと思っていたものは
ただの「気休め」だったということ。
お世辞、社交辞令、、、
そこには、尊敬も憧れも期待もなく、
ただ、哀れみや同情が渦巻いていただけ。
だからこそ、生まれて初めて味わう
“心からの評価”という美酒にとことん
酔いしれたんだ。
貪欲に知識をつけ、
積極的にチャレンジし、
そして一生懸命働くことで、
自分の存在意義や意味を見出せた気がした。
頑張れば頑張るほど……
評価は大きくなった。
多くの人から認められるようになった。
自分の存在を重要視してくれる人間が増えてきた。
美酒に酔いしれる暇もないほど、
あれよあれよと言う間に、現実が変わっていった。
社会的地位をもらった。
部下ができた。
給料も沢山上げてもらった。
社長は「お前が必要だ」と俺に言ったし、
「こいつはうちのエースです」と、
どこに行ってもそう言って俺を紹介した。
会社を辞めることを決心した時、皆が俺を引き止めた。
君が必要なんだ、と。
でも俺は、もっと先のステージに行きたかった。
もっと「自分を」生きたかった。
起業後、紆余曲折あったけれど
結果的に事業を軌道に乗せる事に成功した。
生きた知識を増やすことと、
生きた経験を増やすことだけを
愚直にやってきた結果だと思う。
収入は、同世代の何倍にも膨らんでいった。
この頃には、過去を忘れかけていた。
むしろ、過去なんてなかったかのように、
前だけ向いて生きていた気がする。
この頃になって、ふと気づいた事がある。
自分を好きになっている
ということ。
これは、単純に凄いと思った。
あれだけ嫌いだった自分を
こんなに好きになれるのか、と。
・・・
・セルフマネジメント
・コミュニケーション
・リーダーシップ
・ビジネス
学べば学ぶほど、目の前に
転がっているチャンスに気づき、
可能性が広がっていく。
人生は拓かれているのだ、ということを実感する。
もっと自分が好きになる。
周りも好きになってくれる。
そこから生まれるパワーに気付く。
なんなんだ、この感覚は。
これが俺の求めている”進化”なのか。
「成長」
「飛躍」
「ステージを上げる」
「次元が変わる」
言い方は色々あるけれど、
そういう事なんだと思う。
進化すればするほど、
自分を好きになっていく。
自分を好きになればなるほど、
進化していく。
鶏が先か卵が先か、
という話かもしれないけど、
そんな事はどうでもいい。
“自分が好き”
これだけで、無限の可能性が拓けていく。
重要なのはそこだと思う。
そこに意味や価値があるのだと思う。
立ち止まり、過去を振り返ってみる。
今、振り返った時に見える過去は、
自分が歩んできたる過去とは、
明らかに違うものになっている。
“過去が書き換わっている”
という表現はあまり好きじゃないし、
別に書き換わってもいないと思う。
記憶そのものは鮮明なのだから。
違うのは……
“カラー”
そう。
過去の記憶が、昔のようなどんより
したモノクロのイメージじゃなく、
まるで日が射しているかのような
鮮やかで明るいカラーになっているということ。
辛かったはずの思い出すら、
明るいカラーで表現されている。
そうか。
自分を好きになると、過去すら変えられるのか。
そんなことを考えてみたりする。
以前、深夜2時に、実家に帰った時の話。
深夜だったから、音を立てずにそっと家に入った。
すると、居間に誰かいた。
親父だった。
居間のソファーで、仕事着のまま、
思いきり口を開けたまま、イビキを掻いて寝ていた。
部屋の照明も、テレビもつけっぱなしだった。
テーブルには、飲みかけのビール。
どうせ、仕事から帰ってきて
少しだけ横になるつもりが、
そのまま寝落ちてしまったんだろう。
・・・
随分痩せこけた顔。
かなり老けた顔。
・・・
「うちの親父はこんなに老けていたのか……??」
なんてことを瞬間的に思ってしまった。
その日は俺も疲れていたから、
親父が寝ている向かいのソファーに腰を下ろし、
一息つき、何気に親父を見ていた。
親父の寝顔をじっくり見るなんて、
もしかすると初めてかもしれない。
親父を思い浮かべた時の顔はいつも、
目の前にある老けた顔よりももっと若い。
10年、いや20年くらい前、
まだ一緒に風呂に入っていた頃。
子供にとっては少し熱めの湯船から
上がる時、決まって
「よし、あと10秒な!」
と親父から言われ、
「いーち、にーい、さーん……」
と素直に声を出して数えていた無邪気な頃。
……くらいのものかもしれない。
でも、目の前の顔は誰が見ても
老けた年寄りの顔であり、間違いなく俺の親父だ。
無理もない。
親父はもう、今年で68になるのだから。
・・・
気持ちの悪い話をしよう。
誰が気持ちが悪いって、
俺が一番気持ちが悪いのだけど、
親父の寝顔を見ていると
「俺の親父はこの人で良かったのだ」
なぜかこんな風に思えてきたわけ。
・・・
断っておくが、親父は何も変わっていない。
昔ほどではないけれど、
相変わらず酒を飲みすぎてお袋に絡んでいたりする。
こないだなんて、酔っ払い過ぎて、
トイレに小便を撒き散らし、
お袋にこっ酷く叱られていたらしい。
そんなしょんべん親父だけど、
でも、この人が親父で良かったんだ、と。
……いや、この際だから、ちゃんと素直になろう。
この人が親父じゃないと俺はダメだったんだと思う。
なぜなら、
この人が親父じゃなかったら俺は、
今の俺を生きてはいないと思うんだ。
なんでそう思うのだろう?
たとえば、今の俺の中にある
「スキル」や「人格」は、
親父を反面教師にした結果であるものが少なくない。
・直ぐに見返りを求めない
・物事を冷静にみる
・暴力は振るわない
・簡単に騙されない
・常に大らかである
・女性の前で醜態は絶対に晒さない
これは親父の悪い癖だ。
ざっと思いつくだけでもこれだけある。
こういう所を俺は反面教師にしてきたんだ。
なにも反面教師だけじゃない。
親父の名誉のためにも言うのだけど、
親父にも、数える程だが”良い所”はある。
そして、俺は、その恩恵を、意外と多く受け継いでいる。
たとえば、
・子供や動物好き
・一生懸命働く
・人を馬鹿にしない
・弱い者に手を差し伸べる
・人から可愛がられる気質
俺が人から評価されるこういう部分は、
間違いなく親父の影響だったりする。
これらは、最も価値あるスキルとして
俺の中に宿っていて、
これまでに俺を何度も救ってくれたし、
成長させてくれた。
特に「一生懸命働く」ことに関しては、
そんな親父の背中を見て育つことができた
ことに感謝している。
何のスキルもないのなら、
とりあえず一生懸命働くしかない。
そう思って我武者羅に働いた時期が
あったからこそ、今の俺があるんだ。
まあ、そんなこんなで、
今の俺は親父によって作られたところが大きい。
ってことになるんだろう。
俺は、今の俺じゃない自分なんて嫌だと思う。
だって、俺は今の俺が好きなんだから。
今ここに立っているのが、
今の「好きな自分」であるためには、
この親父である必要があったんだと思う。
今だからこそ、言えることがある。
俺は、親父が好きなんだと思う。
友達に自慢したかった理想の親父じゃない。
このありのままの親父が好きなんだと思う。
それに気付くのに
30年近くかかったわけだけど、
まだ生きてるうちでよかったなぁ、なんて。
……とは言いつつも、
さっき言った通り親父は何も変わっていないんだ。
それだから、どうせ、
これからも生きてるうちは、
事ある毎に「がっかり」させられるのだと思う。
この人はきっと、俺たちに溜息を
つかせる事をやめさせてはくれないのだと思う。
その度に、
「こっのクソ親父が……」
と、心の中でつぶやくんだろう。
極まれば言葉にも出すんだろう。
そして、ケンカになって、
「さっさとくたばれクソ親父!」
なんて叫ぶのかもしれない。
それは、
彼が生きてる限りずっと続くんだろう。
そんなもんだと思ってるから。
それが親父との関係における
在り方の一つだと受け入れてるから。
だから別に、今さらどうにかしようとも思わない。
親父とは、喧嘩しながら付き合って
いくって決めてるんだ。
でも、そんな時は、ほんの少しだけでも、
目の前のこの、口を開けてイビキをかいてる
老けた顔を思い出してみてもいいのかもしれない。
少しは、何かが変わるかもしれない。
わからないけど、まあ、たぶん。
まとめよう。
俺自身のことを色々と考察してきたけど、
結局、
親父を好きだと思えたように、
これからも色んな人を好きだと
素直に思えるような自分で在りたい。
そう思うんだ。
でも、そのためには、
“今よりももっと自分を好きにならいといけない”
とも思うんだ。
だから俺は、
そのための努力をこれからもし続けるんだ。
間違いない。
・・・
自分を好きになるということは、
自分の中の可能性の拡大を意味します。
何の可能性なのか?
それはわかりません。
形の有るものなのか、
形の無いものなのか、
感情的なものなのか、
精神的なものなのか、
神秘的なものなのか、
それはわかりませんが、とにかく、其処には
「可能性」
という言葉で表現される素晴らしい
未来が拓かれていくことは確かです。
僕は、自分を好きになるために進化しています。
“自分を好きになる”
ということのプロセスには、
数え切れないほどの学びがあります。
その先には、
とても素敵でワクワクするような
チャンスやチャレンジが待っています。
勇気を出してその一歩を踏み出すことで、
それを体験することができるのです。
僕は、進化したいです。
自分を好きになるために、
自分の大切な人たちを好きになるために、
自分を赦すために、
自分の大切な人たちを受け入れるために、
進化したいです。
多くの人々を見ていて思うのは、
“もっと自分を好きなる努力をするべき”
だということです。
“自分を好きになる”
これは、努力なしでは叶いません。
自分を好きになるには、努力が必要なんです。
自分の事が嫌いだったり、
大して好きでもなかったりする人間が、
ある日突然自分を好きなったりはしません。
僕はいわば、自分を好きになるための
“努力の材料”
を、あなたに提供しているのかもしれません。
僕は、無料・有料関わらず、
自分の個人メディアで伝えている事は、
とどのつまりはそういうことなのかなと、
最近になって気づくことができました。
冒頭で紹介した読者さんからの問い。
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私もAUNさんの言うように、
人間として進化することで素敵な人生を
送りたいという気持ちを強く持っています。
でも、すぐにモチベーションが尽きてしまい、
普段の生活に戻ってしまうのです。
どうすれば、AUNさんのように、
進化する事が当然のマインドになることが
できるのでしょうか?
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この問いに対して、
僕は明確な「答え」を示す事はできません。
でも、僕の今回のメッセージや、
個人メディアでの発信を通じて、
この方や、この方と同じ様な思いを
持つ人たちに、何かしらのヒントを
得ていただけることを期待しています。
もしあなたが、
生きる意味がわからなくなって苦しんでいるのなら、
人生は閉ざされている、と感じてしまう状況にあるのなら、
人生を楽しいものだと心から感じられないのなら、
あまり難しいことは考えず、とりあえず
「自分を好きになる努力をしてみよう」
と思うことからはじめてみてはどうでしょうか。
そのための材料なんて、
その辺にゴロゴロ落ちています。
その中の一つとして、
僕を”利用”してくれたらいいと思います。
僕が提供できる知識やノウハウは、
まあそこそこありますが、
最初は「利用してやる」という
気持ちで関わってもいいと思います。
ただ、あなたが少しでも、
自分を好きになれたと実感できた時、
僕にポジティブな報告をしてくれませんか。
その、あなたからの一通のメールで、
僕はさらに自分の事を好きになることができます。
そして、もっと、あなたに
何か価値のあるものを提供したいという
気持ちに駆られると思います。
お互い、一緒に進化していきましょう。
そして、もっと自分を好きになっていきましょう。
・・・
長いメッセージになりました。
お疲れ様でした。
最後まで付き合ってくれて嬉しいです。
特にプレゼントなどはないですが、
それでもよければ、感想などを頂ければ嬉しいです。
返事返せるかどうかはわかりませんが、
すべてに隅から隅まで目を通します。
ありがとうございました。
ARIGATO!☆AUN