チャレンジすることの本当の意味
本文より一部抜粋
「チャレンジ」とは要するに、
「新しい行動」
のことです。
これまでの自分の経験履歴にはない未経験の行動。
たとえば、僕自身、ここ1ヵ月間で、ざっと思いつくだけでも、3つの「小さな」チャレンジがありました。
1つ目は、滋賀で友人のタナと行った対談コンテンツの収録。
対談自体は何度も経験しているので別に新しくもなんともありませんが、
・コンテンツの監修役がいて
・10人くらいの聴衆の中で
・2台のカメラが回っている中で
やったのは初めての経験でした。ストレスでした。
2つ目は、先月末に行われたSPINS関連のセミナーです。
セミナーに関しても、僕にとってはまったく新しくもなんともありませんが、
・僕をよく知らない人が大勢いる中で
・映画館のような造りの薄暗い会場で
・スポットライトを浴びながら
・聴衆の顔がよく見えない状態で
やったのは、まあ初めての経験でした。ストレスでした。
3つ目は、今週地元福岡で開催した、これまたSPINS関連のセミナー。
これは何が新しかったかというと、ユーストリームを使ったオンライン中継を同時に行ったことです。まあこれに関しては、技術的に成功させられる自信が無さ過ぎたため、大阪から優秀な弟子を呼び寄せることで、問題なくやりきる事ができましたが、本当に上手くいくのかどうか、上手くいく瞬間までストレスで仕方なかったです。
とまあ、これらすべてにおいてストレスを伴っていたわけですが、ここで言う「ストレス」とは、ある種の「居心地の悪さ」であり、
チャレンジ(=新しい行動)の際には100%必ず伴う“進化の淘汰圧”
です。